不器用な彼女  第1話




 あと5日で授業が始まるという頃、朝からアパートの隣の部屋でバタバタと音がする。
そういえば隣人は卒業して出て行ってしまったので新しい住人が引っ越してきたのだろう、と思いながらもそこまで関心のない
少し遅めの朝食後、アルバイトの為に服を着替えて家を出る。
すると上の階からドアを閉める音が聞こえてきた。

「あ、ちゃん、おはよう〜」

階段で夏香が上から手を振る。
そう、夏香はの真上の部屋を借りているのだ。
母親にと一緒の大学だから家を出るのを許してもらえたような彼女なので
家も近くに住むことを条件に出されたそうなのだが、それはそれで夏香は喜んでいる。
時々、の家で一緒に夕食を食べたり、夜遅くまでDVD鑑賞会をしたり、試験の前は合宿をしたりと、
高校の頃にはできなかったことを沢山でき、夏香はとても嬉しそうだ。
表情には出さないがそれはも同じ。
夏香が「今日、遊びに行っていい?」と言う日は、いつもよりも材料を吟味して買い物をし、心を込めて料理を作るのだ。

ちゃんもバイト?」
「あぁ、夏香は今日もコンビニか?大変だな」
「そんなことないよ〜。色んな人がいて面白いし。 まぁ、ずっと立ちっぱなしなのがきついけどね」

は笑顔の夏香を見て、この子は接客業や受付の仕事が本当に似合うだろうなぁと心から思う。
そうして、ニコニコ明るく人懐っこい笑顔で、しかも可愛いのだから夏香のいるコンビニに行く客はラッキーだな、と1人で納得して頷いた。
すると夏香がの顔を見上げる。

ちゃんは今日は普通の写真?それともネット?」
「今日はネット用だと聞いた」
「いいなぁ、新作の服着れて〜」
「…そうだな。また、可愛いのが出てたら写真撮ってくる」
「うん!――あ、信号変わっちゃう、じゃあね!!」
「あぁ、気をつけろよ」

そう言うと、夏香はパタパタと可愛い足音を立てて横断歩道を渡っていく。
そんな彼女を暫く見届けると、も目的地へ向かって歩き出した。




 バイトが終って家に帰り着く頃には、辺りは茜色になっていた。
ふぅ、とため息にも似た息を漏らしながら、はアパートの階段を登る。
そうして部屋の鍵を開けていると、右隣のドアが開いた。
今朝、ドタバタと音を立てていた部屋だ。
そこから出てきたのは、背の高い男。
相手もに気づき、ちらっと顔を見るが、その男もも相手の顔を見て固まる。

((――――こ、こいつ…もしかして…))

ボトリとは手に持っていたバッグを落とす。
相手も何か言いたそうだ。

(俺が)(私を)

((――いじめてた奴じゃないか…っ!))

「…もしかして、か?」

相手の呼ぶ声に過去を急に思い出され、一気には逃げ腰になる。
そんな彼女を見て、男は表情を曇らせて言葉を続けた。

「――無視かよ。相変わらず高飛車そうなのは変わってねぇな。
 中学の時はいきなりいなくなっちまったけど、今日からお隣さんってわけだし宜しく頼むぜ?」

低い声でそう言うと、にやりと口角が上がる。

「っ…!」

そんな彼を見て慌てては落としたバッグを引っつかむと、鍵を開けて部屋に入った。

…何で?
何であいつが…ここに?
――昔、私をいじめたあの春日幹かすがもときが、新しい隣人だなんて。



 ――春日幹は小・中学校の同級生。
特別仲が良かった記憶はないが、小学生の時は話をしたり、グループで一緒に遊んだりする程度だった。
しかし、中学生になった頃から少しずつ幹は変わり始める。

よく男の子たちに「チビ」とからかわれていた身長が伸び始めると、怒りっぽかった性格が次第に落ち着いてきた。
更に女子生徒からの人気が上がるにつれて、態度に自分に対する自信が現れ始め、次第に男子の中でもリーダー的な存在になっていった。
しかし、薄っすら人を上から見下ろすような笑みを浮かべることが増えたように見えた。

だが、そう思っていたのはきっと自分だけだっただろう、とは思う。
なぜなら彼は男女共に好かれていたからだ。
恐らく彼は自分に対してのみ、あんな態度だったのだろうと当時から感じていた。
しかしその原因が分からず、は次第に彼と目が合うのが怖くなった。


 ――そんなある日。
学級委員だったが、自習の時間にクラスメイトたちに教師から受けた指示を伝えていると
突然、幹が

「いい子ぶってんじゃねーよ」

と馬鹿にしたように言った。
表立って文句を言われるのは初めてだった。
それでも、自分は学級委員だからと思い、彼を無視して自習のプリントの説明を続けた。


 ――次の日、クラスの女子たちに無視されるようになった。
その次の日は机に落書きされたり、悪口の書かれた手紙が下駄箱や引き出しの中に入っていた。

こんなこともある、と1週間くらいは自分を励ましていた。
それでも手紙は止まない。

しかし給食当番の時、幹の机に箸を配ると「汚い手で触んな!」と一括され、それから誰の机にも箸を配れなくなった。
皆が同じように思っているような気がして、あと残りの30人からも同じような言葉を吐きかけられるのかと怖くなり
箸を置いてその場から逃げ出した。

それからというもの、はもう何事にも心を動かさないように決めた。
どんな悲しい言葉を言われても、酷い態度をとられても、何も感じないように生きようと思った。
反応しなければ、きっとすぐにいじめている連中は飽きるに違いない。
それに彼らの言動に毎度傷ついていては、精神が持ちそうになかった。

何をされても動じず、表情を変えなくなったを気味悪がって次第に表立ったいじめはなくなっていく。
それでも幹だけは止めなかった。
横を通るたびに「優等生ぶって」「お高くとまってやがる」「目立ちたがり」と何かしら言葉を投げつけてくるのだ。

確かにあの頃の自分は、何でもやりたいと思ったことはやっていたし、
当時から身長も大きくてお喋りだったし、他の子よりは目立っていたかもしれない。
だが、春日幹にそこまで嫌われる原因が未だに分からない。

「――私は自分で気づかないうちに、人を傷つけたり不快にさせたりしているのだろうか」

ベッドの上のぬいぐるみに向かっては頭を垂れる。
するとピンポーンと呼び鈴が鳴った。
ふぅ、とため息をつきながら玄関に向かい、ドアを開ける。

「…っ――」
「露骨に嫌な顔するなよ、失礼な奴だな」

一瞬、息が止まる。
そんなを見下ろすように幹が立っていた。














続きます!



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