普通少年情話




 僕には特技がない。特徴もない。
見た目も特に整っているわけでもなければ、体つきも筋骨隆々ということもなく特記すべきことはないし、病弱で明日が見えないわけでもない。
飛び抜けた正義感や勇気をもっているわけでもなければ、世界を憎むほど捻くれてもいない。
男女問わず友人には恵まれるけれども、女性に関しては基本“いい人”止まりの無害な人間だ畜生。
 ここまでくれば寧ろ何事に関しても平凡なところが特徴かもしれない。
とはいえ自分もそんな己に満足しているつもりだ。
世界中全ての人が個性的で飛び抜けた人間ばかりだったら社会は到底成り立たない。
自分のように平々凡々たる人間が社会基盤を支えているのだ――と思いながら普通の人間たる自身を慰める日々である。

 そんな僕は恋をしている。僕みたく普通の男が高確率で好きになってしまうような物語の典型的ヒロインタイプの女の子だ。
素直で一生懸命だけど自分のことには不器用でちょっとドジ。
可愛らしい童顔に巨乳というのも絶大なるヒロイン力である…らしい。いや、僕はそういうのはあまり気にしたことはないけれども。
愛らしい笑顔と優しい物腰、石もないようなところで躓く誰もが親しみを抱く女の子、エル。
 しかしながらその彼女はまた典型的なヒーロータイプの男に恋をしている。
強くて逞しく優しい中に厳しさもあって人望も厚い男だ。
しかも男は仕事一筋という鈍感さで、多くの男から好意を寄せられている程のいい女である彼女の想いにはとんと気づかない。
 とはいえ、いつかきっと物語のように二人はうまくいくのだろうと既に僕は諦めている…つもりなのだが、
彼女に相談されるだけで嬉しくなってしまうこの身が、彼らがいつか迎えるハッピーエンドに耐え切れるか不安だ。
恐らく、きっと、いや確実に泣く。情けないと言われても多分泣くだろう。僕は普通の人間だから打たれ弱いのだ。
しかも年齢を重ねるにつれて涙脆くなってきているし、泣き上戸になってしまったから尚更だ。

「今日もエルの相談を聞いていたの?」

 隣の席が音を立てるのと同時に頭上から声が聞こえた。
僕は「うん」と言ってそちらに身体を向けると、エルとは違うタイプの女の子が隣に座った。
 彼女は僕やエルと同い年ではあるが女の子と呼ぶのは違和感がある。
というのも彼女、は見た目麗しくスタイルも良い為に僕らよりも年上に見えるのだ。
――こんなことを言うといくら寛容な彼女でも流石に怒りそうだろうから言わないけれども。
 更に言うと彼女は頭脳明晰かつ勇敢で剣の腕も部隊一という実力を持つし強力な魔法も使える。
したがって部隊長を任せられているThe perfect lady!なのだ。
 部隊長なだけあって常に冷静だが機を見て大胆な奇襲を仕掛けたりもする。
但しバーン国とアーク国は長い間休戦状態だった為、実戦で披露したわけではないので全て実戦形式の訓練内でのことではあるが。
 同期の星とも言えるそんな隊長に率いられ僕やエルは日々国と国民の為に訓練を続け警備や補給任務にも当たってきたわけだが、
喜ばしいことに(?)戦争は完全に放棄されバーン国とアーク国は統一される運びとなった。
思わずクエスチョンマークがついてしまったのは現在の兵士という職が廃業になるからであるが、
宰相殿が言うには優先的に警備隊か国防省へ入れる手筈になっているらしい。
なので僕は警備隊、更に言うと地域部署の希望を出している。
国防省は流石に無理だと分かっているし、地域に密着した警備隊の仕事の方が我ながら合っていると思うのだ。
ちなみに、エルはまだ決めかねていては国防省希望である。

「まだ就職先迷ってるんだって」
「そう」
「好きな人は国防省に行くだろうから自分も追いたいけど、自分の実力では最終試験にすら残れないと思うって言ってたよ」

 僕がそう言うとは溜息を漏らした。
そしていつものライムソルトを注文して再びこちらに向き直る。

「エルは自分にもっと自信を持つべきよね。恋愛に関しても仕事に関しても。
 私はそんな柔な鍛え方はしてないつもりだし結構無茶な指示もしてきたつもりだけど」
「うん、僕も自信を持てって言ったよ。エルみたいな子はどんなことでも真っ直ぐぶつかっていく正攻法がいいと思うからね」

 僕は頷いて手元にあるミードを嘗めるように呑んだ。
僕の言葉に頷きながらもマスターから出されたライムソルトのグラスを掲げる。
彼女のそんな姿は本当に絵になる。たとえそれがノンアルコールだとしても非常にクールだ。

「…そんな貴方にも正攻法が合っていると思うけど?」

 片目を閉じながら茶目っ気溢れる様子では言った。
彼女は僕の想いを知っているしエルの好きな人も知っているのだ。

「約束の日は近いのよ。もしも、ってこともあるかもしれない。
 後悔しないようにエルに想いを伝えたら?」

 約束の日とは大災害がもたらされると予想された日のことである。
非公式に救世主と呼ばれる少女によって偶然巡り会わせたアーク国とバーン国の主要なる人物たちが
何度も繰り返していた言葉は「想いの力を信じよう」だった。
そして沢山の人々が想う力は強大な魔力となり、必ずや大陸を守ってくれるだろう、と言うのだ。
しかも彼らは何百年と対立していたアーク国とバーン国の和平条約をあっという間に締結してみせた。
余程状況は切迫しているのだろうと戦いのことしかわからないような政治学素人の僕でも分かる程に大陸は変化していっている。
それもこれも全ては大災害回避の為だ。
 僕は未だに予測も彼らの言葉も信じきれてはいないけれど、カルトス様が命を下せばそれを信じて遂行するだけだ。
それにカルトス様は国民を裏切るようなことはしない御方である。
きっと一週間後の今頃は何事もなかったように新しい仕事先を探しているはずだ。
 未来に対する恐怖を感じない為にも僕やエルは敢えていつもと同じ行動をとるように心掛けている。
だがはそうでもないようだ。指揮官という職業病か、先のことをあれやこれやと考えてしまうのだろう。
なのに大陸の終わりと比べればどうでもいいような僕の心配をするのだ。
やはり彼女とカルトス様にしか僕は命を預ける気になれない。

「できるだけいつもと同じようにしてたいんだ。
 それに僕は既に諦めてるから」
「エルは貴方の気持ちに気づいてないだけでしょう?
 知ったら立ち止まって振り返るかもしれない。
 そうは思わない、ジョン?」

 そう、ジョンが僕の名前。ジョン・スミス。
名も姓もありきたり過ぎて逆に偽名かと疑われる程だ。僕は名前からして普通なのである。
僕が平々凡々と生きることはもう運命というか天命と言わざるを得ない。

「エルに限らず貴方も自信持ちなさいよ」

 半ば呆れたように彼女は言ってグラスを傾けた。
彼女は横顔も美しい。足は崩しているが真っ直ぐ伸びて少し反った背筋から頭にかけてのラインはシルエットにしても絵になる。
 自ら先頭に立って走り回っていた彼女の背中は男と比べると華奢なものの、
過酷な状況下で追い続けた身としては非常に頼もしく見えるし、目標でもあった。
 そんな彼女に自信を持てと言われるのは嬉しいことだけれども、と僕はひっそりはにかみながらもどこか切ない。
自信を持てるようなところが我ながら思いつかなかったのだ。

「それはともかく3日後が勝負だね」
「ええ、うまくいけばその日と次の日はお祭り騒ぎの予定になってるわね。
 無事に事が済めば5日後は平常通り城下の見回りの任務よ」
「…そうして1週間後には退任式で、皆それぞれの道に進むんだね」
「そうね、予定通りに事が運べば」
「そんなふうに言わないでよ。
 が色々と考えるのは分かるけど、今回ばかりは一人が頑張ってもどうにもならないことなんだから。
 もう少し前向きに考えよう」
「そうね」

 はこちらに向き直ってグラスを掲げながらにこりと笑う。
バーン人特有の褐色の肌は青空の下ではきらりと光を跳ね返す弾力と力強さを感じさせ彼女の魅力を更に引き立てるものであるが、
照明の下で見る彼女の肌はしっとりと潤っていてぐっと大人びて見える。
 何故こんなにも違うのに僕らは親友でいられるのだろうか、と考えたことがある。
だってほら今も周囲の男たちが彼女を見ている。そしてなんであんな連れといるんだろうかという目線を僕にちらりと向けるのだ。
 恐らくは人を特別とか普通とかいう枠組みで見ていないのだろうと思う。
エルだって凄く可愛くてモテるのに僕に相談してくるのは多分彼女も人をただの人として見ているからだろう。
寛容で親しみのある彼女らに比べ僕だけが特別視しているのはなんだか申し訳ないがそれでもなぁ、と苦笑してしまう。
 尊敬できる素敵な異性の友人がいるというのは僕にとってはそれだけで誇れそうだ。
でもまあ敢えて二人と友人でいられる理由を考えてみると僕は聞き上手なのかもしれない、うん、そうだ。
僕自身のことで唯一誇れそうなところは人に威圧感を一切与えず人の話を自然体で聞けるところ…そういうことにしておこう。
 こんなことを考えているとまたに窘められそうな気がするから黙っておくけれども。
結局のところ僕は普通の自分がなんだかんだで好きなのだ。


 ――約束の日は歴史的にも人類史的にも大事件として後世に語り継がれるだろう。
予定時刻が迫り僕らは所定の位置に配置された。
右に、左にエルがいて彼女らの隣にもずらりとバーン国の人間が並んでいた。
作戦時刻を前にカルトス様が皆に言う。

「今回の作戦は一度限りであり必ず成功させねばならない。
 したがって漠然とした想いでは弱すぎる」

 カルトス様の言葉を聞き皆に動揺が走った。
時間は迫ってきているのに漠然とした願いでは困ると言われたら正直どうすればよいか僕も迷ってしまった。
確実に切実に大陸の無事を祈るつもりでいたけれど自分でも心は完全に理解できない領域でもある。
本当に僕は大陸の為に祈れるのだろうか、なんて不安が浮かぶ。

「皆、まず大切な者のことを思い浮かべてみてほしい。
 その者の無事と幸せな未来であればごく自然に願えるのではないかと思う」

 僕は配置のせいもあってすぐにエルとを思い浮かべた。
その次に家族だ。

「その大切な者たちの幸せには何が必要か?
 それはやはりその者にとって大切な者の無事であろう。
 …そうやって少しずつ範囲を広げてみてほしい。
 皆の大切な者たちはもしかすると最北端にいるアーク地方の者に通じる縁やもしれぬ。
 逆もまた然り」

 僕は想いを馳せる。想像力は豊かな方だ。
エルやが明日も笑う為には大事な友人、家族、そして好きな人が元気でいる必要がある。
その彼らが元気でいる為には彼らの大切な人達が元気でいる必要がある。
 そうやっていくと……意外にも世界は狭いような気がしてきたし、どんなことでも何かしら自分に関係することのように思えてきた。
今まで無関心だったことにも関心が持てそうだ。

「皆、自分だけではなく大切な者とその者が生きる世界の為に祈ってほしい。
 我らの想いは必ず形となって明るい未来を見せてくれる。
 ――では、作戦を開始する。隣の者と手を繋いでくれ」

 僕はカルトス様を信じた。温かい手をしたエルと力強く手を握るを信じ、彼女らの横に続く者たちを信じた。
その後、魔力増幅装置の力も借りた僕らの祈りは虹色の壁となり大陸を守ったのだ。


 僕はあの日のことをきっと忘れないだろう。皆と心を一つにしたあの時を。
あの瞬間、身体という器から飛び出し魂が一つになったかのような一体感に包まれ、温かな感情が心に満ちた。
そして全てがうまくいったと確信が持てた後、エルや、近くにいたあまり会話もしたことがないような人とも抱き合って喜んだあの時の感動。
きっと僕は忘れることなどできやしない。思い出すたびに涙ぐんでしまうくらいの出来事だったのだから。

 だがしかしどうして。
何故こんな状況になったのか、僕は全然覚えていない!
 数秒前に僕は鳥の囀りで目を覚ました。
約束の日が近づくにつれて鳥や虫の声は聞かなくなっていた。
けれど今日からはまた早朝には勘弁してもらいたい鳥たちの語らいが始まるのだな、なんて考えは一瞬にして吹っ飛ぶ。
未だ眠くて重い瞼をゆっくりと開けた次の瞬間、僕の目に褐色の肌が飛び込んできたからだ。
 僕は慌てて飛び起きた。そして新たに気づくことがある。
ここは僕の部屋じゃない!
 そんな僕の動揺と飛び起きるという激しい動作で睡眠が妨げられたのか隣で背を向けて寝ていた褐色の肌の人物が寝返りを打つ。
想像した通り、その人はだった。しかし彼女はまだ目覚めない。
僕は記憶のない自分を頭をもう一度動かしてみるが、何故彼女と寝ているのか覚えていなかった。
 もしや昨日のどんちゃん騒ぎで酒に酔ってとんでもないことをしでかしたのでは、と背中に冷たいものが走ったが
自分との身なりをちらりと窺い見るに自分は下着とTシャツ、下は見ていないが彼女はタンクトップを着ているようだった。
 恐らく、多分、いやきっと変なことは起こっていないと思う。
いくら酒に酔っていたとはいえ、大切な友人に手を出すなんてまさかまさかそんなそんな。
万年普通人の僕ができることではない。
 そう思い、僕はそっとに気づかれないようにベッドから抜け出た。
そして寝ている彼女を遠目から見てみる。
当たり前だけれど!首筋などにキスマークなどはない。
彼女が泣き寝入りした様子もないし、布団からはみ出ている手首も拘束したような跡もない。
うん、と僕は確信するように頷いて自分を安心させる。
 それにしてもここが僕の部屋でないということはの家なのだろうか。
親友とはいえ家を行き来するような付き合いでもなかった。仕事が休みの日にぶらりといつもの店に行くと会う程度だ。
寧ろ外で会えるから家に行く必要がなかったともいえる。
 とはいえ、の寝ている姿を見れることは稀なることだ。
野外訓練中は物音が鳴ったら即座に目覚め剣を構えるような彼女であったが、
最後となる大きな任務が終わった開放感か、もしくは自分のテリトリーなこともあってか深い眠りについているようだった。
もしかすると心底疲れるような何かを僕がしてしまった可能性もなくはないのだが…そうでないことを祈る。
 それにしてもの寝顔を見れる日が来ようとは。
完璧な彼女にも気を抜く時があったのだ、と当たり前なことに今更気づく。
そう考えるとなんだか無防備に寝ている彼女が可愛らしく思えてきた。
 ――いやいやダメだ。
瞬間、侵入禁止区域に足を踏み入れたような感覚がした。僕は首をぶんぶんと振る。
しかし一度踏み入れるともう少し奥を覗いてみたくなるもの。
僕はそっと寝ている彼女の顔に視線を落とした。
寝ている彼女の顔は穏やかで、殊更睫毛が長く、そして口元は少し上がっているのがなんだか猫のように見えて実に可愛く見えた。
 …うん。わかってはいたが、やはり僕は危険なところまで踏み込んでしまったようだ。
これは良くない。今まで彼女を綺麗だとか凛々しいとかは思ったことがあったが、可愛いと感じるのは危険だ。
明らかに可愛いという感情は彼女を異性として感じてしまっている証拠である。
僕らは性別など関係なくただの“親友”なのだ。
そんなこれまでの二人の関係が崩壊する可能性がある。
これはまずい。
 後ろめたくなった僕は彼女から目を反らし、静かに後退した。
だが、いつもと違うレイアウトが頭に入っていなかった僕は観葉植物にぶつかり鉢ごと転がる。
その音には流石に気づいたようでは飛び起き戦闘態勢をとる――が、自分の腰に剣が刺さっていないことに気づくと目を丸くし、
そして状況を完全に理解した時には顔を赤くして酷くうろたえていた。
 うん、駄目だよな。一度踏み込んでしまったばっかりに、
こういう普段と違うを見ただけでニヤっとしてしまう。いかんいかん。
普通の親友なら変に照れずにまた気障にもならずに腹の底から笑い飛ばす筈だ。

「…笑いすぎよ、ジョン」

 僕の馬鹿笑いが上手過ぎたのか、彼女は恥ずかしさを通り越して少し拗ねていた。
ごめん、ごめんと言いながら僕は涙を拭うふりをする。
すると彼女が体調はどうだと聞いてきた。
僕は体調に異常がないことと、どきどきしながら昨日のことを覚えていないことを話すと彼女は淀みなく答えてくれた。
 最後の任務を終えた僕らは興奮した状態でいつもの店に行き、
周りの客と一緒にビールやシャンパンを掛け合い、店のあらゆるものをたらふく味わったそうだ。
そうして深夜になり皆が解散する中、酩酊状態だった僕は一番近くにあったの家に一先ず連れて来られたという。
 服が濡れていたので外に放置しておいたら死ぬから、とは呆れた顔で言っていた。
うう、申し訳ない。
 その後、濡れた服はが脱がせてくれたらしく、何も知らない僕はベッドで爆睡。
一方は僕と彼女の服の染み抜きをして洗って干していたら明け方近くになってしまい、
疲れと酔いで睡魔に勝てずベッドに倒れ込んだらしい。
 …本当に申し訳ない。
やましいことがあったのではと想像してしまったことすら申し訳なかった。

「大仕事が終わって今日は一日休みだし、あなたが羽目を外す気持ちも分かるけど、
 入ったばかりとはいえ寒期なんだから体調には気をつけてね」

 イコール酒を飲みすぎてベッド以外で酔い潰れたりするな、という意味ですね、はい。
気をつけます、とTシャツとパンツ姿で頭を下げる僕の格好悪さといったら。
の普段と違う姿を可愛らしいなんて面白がっていたけれど、僕はいつも以上に駄目な部分を見せてしまった。
エルがこの場にいないだけマシなのかもしれないが。
まあ、恐らくは人にこういった他人の失敗談を話すような人ではないので安心だろう。

「ともかく、もう乾いてると思うから服を着て。
 私が食事を作るから食べて行きなさいな。ジョンは嫌いなものはなかったわよね?」
「うん!好き嫌いはないよ。食べるの大好き!」

 そう言うとは笑った。
もしかすると昨日の僕の暴飲暴食を思い出しているのかもしれない。

「ジョンは食べる時、いつも幸せそうに食べるわよね。
 そこがあなたの一番の美点と思う」

 思いがけず貰ってしまったお褒めの言葉に僕は呆然としてしまった。
驚き半分、嬉しさ半分だったのが次第に嬉しさが勝っていく。
 僕が意識を取り戻して彼女にお礼を言おうとした時には、既に彼女はエプロン姿で後ろを向いて調理していた。
何とも言えない嬉しさを噛み締めながらの後ろ姿を眺める。
僕はニヤニヤしそうになる顔を隠すように両手で頬杖をついた。
 ……結局隠れていなくて、ある程度調理を済ませて皿を取ろうと振り返ったと目があった僕は
「ホントに食べるのが好きなのね」と我が子に向けるような慈愛の眼差しを向けられ微笑まれてしまったが。


 ――その後、僕らの関係は劇的に変わった。
は国防省に入省して国防次官補に任命され、僕は希望通り地元の警備隊へ入隊、
エルは好きな男を追いかけ、想いを告げて見事結ばれたのだ。
 を中央へ送り出す前日に集まった僕らは突然のエルの婚約発表に驚き、気がつけば婚約を祝う会になっていた。
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎも終わり、エルを家まで送り届けた僕とは並んで夜道を歩く。

「こうなる前に言っておけばよかったのに」

 僕の方を見ずには白い息を吐いた。勿論彼女はエルを心から祝福しているし、僕もそうだ。
しかし、僕の長年の片想いを知っているからこそは僕の気持ちを察して残念がってくれている。
僕は何だか泣きそうだった。僕にとっての女神のような女性が唯一人の男のものとなってしまったのだ。
もうエルを可愛い人だと思うことすら罪なことのように思える。

「…いいんだ。何も知らずに終わればエルとずっと友達でいられるから」
「あら、エルならあなたの想いを知っても友達でいられるわよ」
「それはそうかもしれないけど。
 …ということは、君は告白を断った相手や別れた彼氏とは友達に戻れないタイプなのかい?」
「それは分からないわ。そういう経験がないもの」
「またまたそんな」
「本当よ。私は戦うことしか能がないもの。
 ほら、強い女って可愛げがないでしょう?その辺はちゃんと自覚しているわ」

 おやおや、完璧に見える彼女ですらこんな悩みをお持ちとは。
僕はあの日踏みこんだ立ち入り禁止区域に再び足を踏み入れようとしている。

「僕は武力的に強いのと芯が強いのとは別問題だと思うけどな。
 自立していない子は庇護欲は湧くかもしれないけどパートナーとしてはちょっと…なぁ。
 まぁ、僕が我ながら頼りない存在だからなんだけど」

 僕は笑いながら頭を掻く。
時期が寒期なだけあって冷たい夜の空気が頬を叩いた。

は戦ったら僕よりもずっと強いけど、僕の失恋を一緒に悲しんでくれる優しい心を持った女の子だよ。
 普通の僕から見たらなんて全て揃ったパーフェクトレディなんだから。自分を卑下しないでよ」

 僕がそう言うとは驚いた様子でこちらを見て、そして何故か寂しげに笑った。
もしかすると泣きたい僕の代わりに胸を痛めてくれているのかもしれない。

「ありがとう、ジョン。あなたは本当に優しい。
 …私はそんなあなたのいいところをもっとエルに知ってもらいたかった」
、ありがとう。そんなにまで応援してくれてたんだね」
「ええ。二人とも大切な友達だし、柔らかな雰囲気も似ていてお似合いと思っていたから」
「――本当にありがとう。
 今回の恋は残念な結果に終わったけど、次があるならもう少し頑張ってみるよ」
「ええ、その時も応援するわ」

 そうして僕らは短く別れを告げて背を向けた。
仕事の内容も違うし勤務地も遠く離れてこれまでのように仕事終わりに軽く一杯なんてことは不可能になってしまうが、
僕らの関係が疎遠になる気は一切しなかった。
約束の日の彼女の手の温もりはずっと覚えているし、去っていく彼女の凛とした背中も目に焼き付いたままだ。
 そんな彼女の背中にいつか追いつきたいと思った。
彼女が大切だと言ってくれた僕を僕自身が誇れるようになりたい、と。
その時は進入禁止区域の扉を堂々と開いてみようと思っている。

 ――それから3年後、5回目のプロポーズで漸くを頷かせた僕の姿をこの時、一体誰が想像しただろう。
半年前に僕はアークバーンの英雄の一人である隻眼の銀騎士の後任で部隊長に昇進することが決まり、決心した。
僕の言葉をなかなか本気にしない彼女を「次の恋も応援するって言ったじゃないか」と説得できる程度にやっと僕は仕事と自身に誇りを持てたのだ。












わーい!サイト9周年です!
更新が遅く自己満足な内容の話ばかりですが続けられておりますのも皆様のおかげです。
本当にいつもありがとうございます。

さて、今回は『アークバーンの伝説』にはなかった角度から書いてみました。
アークバーンの英雄となったカルトスらと比べるとごく一般の兵士たちの話です。
今回名前変換可能なヒロインはバーン人です。褐色の美人って格好良いですよね!
そして美味しそうにご飯を食べる人は男女問わず好きです。
…っていう私の好みを反映しただけの話ですみません(;一_一)

9周年の更新がSSで恐縮ですがご訪問並びに読んでくださったお客様、ありがとうございました!!

裕 (2014.11.3)






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